救われる形

焼肉屋でバイトをしていた時に、某男性アイドルがご家族と来店し仲睦まじくしていて、すごく感じが良くていい人だなぁと感じました。

 

しかし別日に飲み会に参加した際、その男性アイドルの方がいて、女の子の頭を叩いたりお店のダーツの矢を曲げていたりと、かなり印象が悪くなりました。

 

攻撃的な面を持っているのは褒められた事ではないですが、彼は大切だと思う人を重んずるスキルは持っているんです。

本人がそれで良ければ私にとっては関わらなければいいだけなんです。

芸能人だと自分が望まなくとも色んな人が寄ってきますし、足切り条件が浅くあるのは理解できます。

 

飲み会に居た人の中には、彼のことを悪く噂する人もいると思います。

【あの人はあの人にこういう事をしたから嫌われている】

【あの人はこういう人だから関わらないほうがいい】

女社会に居るとよく出る話ですよね。

 

ですが私は人から聞いた話でその人を100%判断せず目の前に居るその人が自分に害があるかないかで判断します。

むしろそういう事を言ってくる人は、私に偏見を押し付けようとしてくる人、ゴシップ好きと評します。

 

 

 

 

そんな私が、割と噂通りな事が多く気の毒だと思う人は【救いようのない人】です。

もちろん聞いた話だけで判断はしないですけどね。

 

 

 

 

たぬかなさんがこのポストで指している方や事象は置いておきますが【本当の弱者は救いたい形をしていない】という言葉は【救われたいと思っている】ことが前提ですが凄くしっくりきます。

 

 

困ったことがあった時はまず自分の中で考えて、ほとんどのことが自己解決できます。

しかし相談した人が自分に親身になってくれる人だと、自分に起きた似た事象に置き換えたりして、その人の中のわざわざ話すような事でもない小さな悩みや、消化できていない過去に触れることができるのです。

 

そこでお互いが少しでもポジティブになれるなら、とてもいい会話だと思います。

 

会話だけではなく、行動で応えてくれることもありますよね。

父が亡くなって辛かった時には友達2人がずっと私の家に泊まってくれたりしました。

私も友達が失恋をしたときは友達の家に泊まりに行ったりと、持ちつ持たれつで居れてると思います。

個人的にはしてもらってばかりであまり返せていないんじゃないかと思いますけどね。

たぬかなさんの言葉をお借りすると、私にとって友達は【救いたい形】をしているんです。

 

 

ポストにもあるように

他責、逆恨み、自分は○○!!大変だから何しても許されるはず‼️、関係性以上のことを求める、みたいな都合の良すぎる人っていますよね。

 

その態度を自分に向けてくる人を救いようのない人と分類します。

自覚があるのと、無意識とでまた大きく変わりますが、自覚のある人の場合なにかしらの言い添えがあるものです。

 

いつも悩んでるし、いつも不満を言っているし、手を差し伸べても無駄(お互いにとって不利益)だと思わせて来るんです。

 

 

私にはそういう人の救い方は分からないので、どこかで救われてくれればいいなぁと思い関係を切り上げます。

 

 

人を重んずることは自分を重んずる事だと心から理解できれば、打算的ではない自然な優しさや気遣いがでてくると思うんですよねぇ。

 

 

 

人からの優しさ、自分の優しさにいつも救われています。