愛って苦労するよね

19歳くらいの時に麻雀を覚えるため、中学の同級生とカフェで週に3回ほど勉強会をしていたことがある。

 

彼が好意を寄せてくれてることは薄々わかっていたが、好きな人が居ることを伝えていた。

晴れてその好きだった彼と付き合うようになってからは会わなくなったのだが、出不精な私のために家の近くまで来てくれて麻雀のことだけでなく色々な話を聞いてくれる優しい人だった。

私にはそんな彼の優しさを奥手だと捉えて、より一層恋愛対象から省いていたと思う。

この価値観は今でも変わらないし、私には不必要な優しさだ。

 

 

 

最近彼と別れたので度々集まっている中学の同級生会に顔を出したところ、麻雀勉強会をしていた彼もそこにいて昔のように最近の話を聞いてもらった。

 

仕事をしたくなり、資格の勉強をしていると言ったらすごく褒めてくれて「一緒にまた勉強会でもする?」と提案され、定期勉強会を開くことになった。

 

お互いの予定が合えば週5回勉強会をできたら理想という話になり3回ほど会った。

 

彼は社会人なので仕事終わりに私の家の最寄り駅に来てくれて、カラオケで終電近くまで勉強に付き合ってくれている。

 

 

 

今日はカラオケ1割、勉強3割、雑談7割と結構語り合ってしまった。

 

 

雑談の中で愛し愛されることについての話があり、タイムリーな話題でありそこについて深く考えたいと思った。

 

彼と話した内容は

 

私は「愛すことは楽なことじゃない。」

彼は「愛される方が大変だ。」

 

という価値観の違いから始まった。

 

 

私にとって愛する中で、どこまで許容すればいいのか、どこまで尽くせばいいかの塩梅が分からない。

 

それはつまり、相手を信用できていないということだと彼は言っていて、私もそう思った。

 

許容しすぎたら、相手をダメにしてしまうかもしれない。

尽くしすぎたら、つけあがられるかもしれない。

 

そんな気持ちがあります。

 

 

 

逆に彼の愛される方が大変だという根拠は、相手が愛してくれた時にどれくらい返せばいいのか、自分のどこを愛してくれてるのか分からないというものだった。

 

彼はまぁ自分に自信がないだけなんだけどねと言っていた。

私がそれに付け加えて、それは相手のことも信用できてないんじゃない?と言ったときに、ああ、私も自分に自信がないから人のことを愛せないんだなと、表裏一体なことに気づいた。

 

彼との会話はそんな暗い結論で終わってしまった。

 

 

 

一人で思考してみたのだが、表裏一体といえど私と彼の差はある。

私は

・愛される努力はストレス無くできる

・相手が愛してくれてる事に気づける

・相手が愛されるためにしている努力に気づけない

 

彼は

・愛する努力はストレス無くできる

・相手が愛されるためにしている努力に気づける

・相手が愛するためにしている努力に気づけない。

この違いだと考えた。

 

直近で付き合っていた彼は省きますが、今まで付き合った彼はみんな愛することを厭わない人たちだったと思います。

恋愛観的に一人の女性としてすごく自然体でうまくいってたなぁ。

逆に直近で付き合っていた彼は人として自然体で居れたので、恋愛関係にならなければいい人間関係が築けていたのかなぁとも思います。

 

そこに人としての価値観や、人生観もすり合わせなければいけないと思うと、恋愛って本当に苦労が多いですよね。

 

 

まだもう少し深くまで考えられそうですが今日はここまでにしておいて、総括としては受動的な人じゃなく、積極的な人と恋愛をしよう!です。

 

 

人としての相性も大事ですが、恋愛関係を築きたいのであれば、恋愛の相性って大事ですね。