自分を守り切れない

以前、やりたいことリストに

近所で行きつけの飲食店を作る

という抱負をあげたのだがそれはやめようと思った事件があった。

 

 

近所のコンビニの横にドラッグストアがある。

特別品揃えが良いわけでもないが、家から一番近いうえにコンビニよりも少し安くリポビタンDカロリーメイトなどが買えるので良く利用している。

 

2ヶ月前くらいから新しい男の従業員が入ったのだが、その人がすごく良く話しかけてくれる人だった。

 

初めて話しかけられたのは、私が着ていた服のことでだった。

その従業員の大学の友達が同じ服を着ていただかなんだかで、私は通販で買ったのだが、その店舗に行ったことあるらしく親近感を覚えたらしい。

 

正直私はその服をパジャマとして着ているので申し訳ない気持ちだった。

 

その後も何度かその従業員と顔を合わせたことがあったが、天気の話や服の話をされるくらいで、特に変わったところは無かった。

 

 

 

しかし事件が起こったのは先々週ドラッグストアに行った時だ。

その日はポイントが倍になる日だった。

普段コンビニやそのドラッグストアに行くときは財布を持たず、携帯で支払いを済ませていたため、ポイントカードを作っていなかったのだが、用事の帰りに寄ったためたまたま財布を持っていた。

 

その従業員にポイントカードの作成を勧められ作ることにした。

 

ポイントカード作成にあたり紙を渡されたのだが記入項目が多く、面倒くさくなりやっぱり辞めようかなと思っていたら

「名前と電話番号だけでも大丈夫っすよ」

と言われたのでそれだけ書いて渡した。

 

しかしその日LINEの【知り合いかも】という項目に電話番号から友達追加されたと通知が来た。

 

思い当たるのはそのドラッグストアの店員しか居なかった。

 

友人に相談したところ、本当にそのドラッグストアの店員か確認しにいこうということになり、次の日友人が着いてきてくれドラッグストアに向かった。

 

その店員が居ないことを確認し、店長のような人が居たので話をしたところ、案の定その店員で間違いないとのことで謝罪をいただき、解雇してもらうことになった。

友達追加されただけで特にメッセージを送ってきてもないので、逆恨みが怖いから本件のことは伝えず解雇してほしい。と言い承諾された。

 

 

 

 

以前宅配便でも同じようなことをされたことがあり、警察に相談したことがあったが、特になにかしてもらえる訳でもないことを知っていた。

しかし友人が一応言っておいた方がいいというので、警察にも内容を伝えておいた。

「何かメッセージや電話など来ることがあれば来てください。」との事だった。

 

 

 

ストーカーをするつもりであれば、ポイントカード登録のときに住所なども書かされたはずだろうし、そこまで気にすることではないかもしれないが、友達追加されたときの恐怖心は残っている。

 

しかしこれは珍しいことではない。

 

 

過去のものを並べると

・宅配便の人からFaceBookに友達申請が来た。

・新しい彼氏が家に来た時に、元カレが家の近くに来て外から私の家のブルートゥーススピーカーに繋ぎ爆音で音楽を流してきた。

・バイト先の私に好意を持っていた人が私の最寄り駅に引っ越してきた。

・マッサージ店員のおじさんが、母から私のことを聞き出しインスタグラムをフォローしてきた。

 

バイト先の人はまだ私の家の近くに住んでいる。

彼氏もできたので、強く断りをいれたのだが彼氏と別れたことが伝わったのか、またLINEを送ってくるようになった。

やめてほしいと再度強く断った。

 

 

他にも少し毛色は違うが、マツエクをした際に男性店員にわいせつ行為をされたことがある。

その時はお店を出てすぐに警察を呼び、実刑判決になった。

カルテに住所などを書いてしまったので、データの削除はできないのか?と警察に相談したが、そこまではできないと言われ、引っ越すことにした。

刑事事件になっても、そのあとは実費で引っ越しをし、自分で身を守らなければならない。

 

 

男性からしたらあまり身近ではないのかもしれないが、女性というだけで狙われることなど沢山ある。

 

 

全ての男性がそうでないことは分かっているが、男性と関わることはリスクが伴う。

 

 

意地悪をしたいから、嫌な気持ちにさせたいから、性格が悪いから冷たくするのではない。

全て自分を守るためなんです。

 

 

しかし現状身の回りの恐怖が少し多い状態なので自分を守り切れる自信がないです。

 

全て女性が運営しているお店だったら行きつけのお店作りたいけど、むやみに男性と関わるのはやめておきます。

 

 

何かあるまでは、思い込みが激しいと言われ、何かあってからだと自衛が足りないと言われ。

 

純粋に外に出るの怖いよー。

辛かった

私の人生においてさほど影響力を持たないが、なんだかんだ付き合いの長い人と飲みに行った。

 

 

地獄だった。

 

 

私はお酒を飲んでないが、相手は少しお酒を飲んでいたことが言い訳になるのかもしれないが、本当に最悪な時間だった。

 

 

怒りの感情がおさまらない。

 

困惑からくる怒りだ。

 

 

分かり合えないのは仕方ないが、大切な人を悪く言われてそのまま納得したふりが出来るほど出来た人間ではない。

 

 

相手が理解させようと頑張っている。

 

その頑張りと比例して相手の言葉はどんどんと鋭利になっている。

 

相手は途中から言ってはいけないことを言った自覚もある中、引けなくなってしまっていることが分かった。

 

少し柔らかくなった言葉などで相手自身を守らせたりしない。

 

言いたくないことをどんどん言って、相手自身が自分で傷つけばいい。

 

本当に傷つけたい人間には強い言葉は使わない。

 

強い言葉を使っている時点でその人は弱い。

 

どのように振り返っていようが私の知ったことではないが、もう相手を思いやる行動を私がとることは無い。

 

 

話の内容も、相手に対しての詳しい情報も書きたいと思えない。

 

ただ文字に起すと幾分かすっきりする質なので感情のままキーボードを叩いてみた。

 

感情を負の方向に揺さぶられることなんて、今後いつおこるか分からないのでいい経験だ。

 

起きていた友達がいたため帰りのタクシーで電話をし、話を聞いてもらえて優しい言葉をかけてもらえた。

 

負だった感情が少しづつ元に戻っていっている。

 

きっともう少しで日記を書き終えることにし、【公開する】ボタンをクリックするときには、元を越し正の感情になっていると思う。

 

自分の機嫌がどうしたら良くなるか分かっている自分は立派な人間だ。

 

今日話した相手も立派な人間であることを願う。

二重埋没の病院を決めた

やりたいことリスト消化第二弾の二重埋没編です。

 

私の目は、左目が生まれつきの二重

右目は、奥二重、疲れると二重になる不安定な目です。

 

高校生の頃から埋没をしてみたいという思いはありましたが、当時ネットで得られる情報は少なく、自分には精査しきる力はないと思い1件カウンセリングに行ってみたものの実際に施術に至ることはありませんでした。

 

 

ところが近頃友人が二重埋没をしていたり、Xに沢山の整形情報が流れてくるようになり、自分にとってどんな施術が適しているのかが分かるようになってきたので、積極的に行動しようと思えるようになりました。

 

最終的に回ったカウンセリングは4件。

お医者様の話を聞くたびに自分の理想がどんどんと明確になっていき、本日カウンセリングしていただいたお医者様のところでお願いすることにしました。

 

施術に関しては、今月行うのでまた経過をみて日記に残そうかと思っています。

 

 

 

カウンセリングを回って気づいたことがあります。

私の左目はもともと二重なのですが、どこの病院に行っても両目の施術を進められました。

 

理由は、私の左目は平行二重なので埋没で作り出せる二重をしていないからなんです。

 

正直左目の二重は私の顔においてマイナスの要素ではないのです。

そんな左目を施術することには抵抗があるのです。

お医者様からしたら、この左目に合わせて右目を埋没で施術するのは難しいことなんです。

 

この旨を本日カウンセリングしたお医者様に伝えたところ

 

「確かに僕も今の話を聞いていなかったら両目の施術を勧めていましたが、それは医者としての意見で、患者さん自身が思っていられるように患者さんの左目は我々には作れない美しいお目元だと思うので、左右差は生まれてしまうかもしれないですが、右目の施術をしてみますか?」

 

と言っていただきお願いすることに決めました。

 

 

埋没って、やり直しの効く施術ですし正直やってみないと分からないので、私は意図を汲んでくださるお医者様を探していたんだなと気づきました。

 

 

私もお医者様の気持ちを汲んで、もしも右目の施術が納得のいくものであれば、今度はお医者様の言っていた通り、左目の二重埋没もお願いしたいと思っている旨を伝えました。

 

 

正直カウンセリングを回っていて、私の力不足もありますが、最後まで話を聞いてくださらないお医者様や、感じはいいけれど言いたいことが伝わらないお医者様などいらっしゃったので、今回のようなお医者様に出会て本当にラッキーだと思います。

 

ですが、伝え方や自分の意思が明確になったのはお断りしたお医者様たちのおかげなのでもちろん感謝をしています。

 

 

嫌な思いをしたこともありましたが、全てプラスに働いてくれてるし、プラスにできる自分にまた一つ自信がもてました。

 

施術楽しみだなぁ!

 

 

アレルギー検査してきた

やりたいことリストの中からアレルギー検査をしてきました!

アレルギー検査をしたいと思っていた理由は3つあります。

 

・謎の鼻炎があるため、花粉症を疑っている

・犬アレルギーは幼い頃に発覚していたが、治ってたりしないものなのか

・猫アレルギーじゃなければ猫を飼いたい

 

こんな思いの中渡された診断結果はこちらでした。

 

 

検査結果

ハウスダスト クラス4

ヤケヒョウダニ クラス4

イヌ皮屑 クラス1

ネコ皮屑 クラス1

カビ・花粉 クラス0

 

クラスという数値はなんなのか補足すると、クラスは0~6まであります。

クラス0 陰性

クラス1 擬陽性(静観)

クラス3~6 陽性

とのことです。

 

 

 

ハウスダストや、ダニはまぁお掃除して空気清浄機をつければいいけれど。

 

んんんんんーーーーーー。

犬・猫のクラス1・・・。

 

これは一人で犬・猫を迎えるのは難しいですね。

 

 

母親の親戚が、捨てられた犬・猫の里親探しボランティアをしており、私と母もお手伝いをしており、沢山の捨てられた犬・猫を一時預かりしていました。

里親さんを探すにあたり希望者の方には必ずアレルギー検査をしてもらい、アレルギーがあった場合引き渡しはできない条件でした。

 

擬陽性ということはつまり、アレルギーの可能性があるという意味なので私にはお迎えすることは難しそうです。

 

 

3年前くらいに同棲していた彼が、犬を飼いたいと言っていたのでアレルギーの治し方がないか調べていましたが、その時は特に解決策がでてきませんでした。

 

また後日アレルギーに関してしっかり調べてみます。

 

 

いつかお迎えできますように。

執着する方法が分からない

小学生の時に母と、母に連れられた私が家出(夜逃げ)をし、兄と父と離れ離れになった。その日から父が亡くなるまで、亡くなってからも母と父は二度と顔を合わせることは無かった。

 

 

少し意地悪だけどユーモアのある父と、友達に慕われていて野球の上手い兄が大好きだった。

家出をしてからはもちろん、「また家族4人で暮らしたい」と母が無視をし始めるまでうるさく言っていた。

 

いつまで経っても、どうにかしたらまた家族みんなで暮らせると信じていたのだ。

 

 

しかし3年ほどの年月が経った頃、兄と会えるようになった。

その時兄に「また4人で暮らせるといいね!」と言ったところ「それはない。もうそういう事俺に言わないで。」と言われたことを覚えている。

その時にもう家族4人では住めないことをやっと悟った。

受け入れる準備などはできていなかったが、思い通りにいかないことがあること、人の気持ちは自分の行動ではどうにもできないことを学んだ。

 

 

 

家出をしてから、1人暮らしをはじめるまで6回程の引っ越しをし、どこでも常に転校生だった。

 

転校生というだけで人は寄ってくるし、新しい場所に身を移すことに慣れていたので、友達はいつもできていた。

 

しかし他の学校に転校をするときや卒業式、誰かが転校するときなどの友達との別れで涙を流したことは無かったし、惜しい気持ちもあまりわかなかった。

 

大人になるまでこの事実を【自分は泣き虫じゃない】と捉えていたが、今思うと執着心がなかったのでは?と思った。

 

 

 

 

執着の対象は様々だが、物に対しても人に対しても失うまでは自分なりに大切にしているつもりです。

ただ何かを失うことが人よりも簡単に受け入れられるだけなんです。

 

 

心の中では手放したくないものがあっても、脳が不利益だと判断すると、脳に従ってしまう。

しかし、不利益だと判断するのは自分の経験則でしかないので、執着した先で対象が本当に不利益のままなのか利益に変わっているのかが分からない。

年齢的には遅いかもしれないが、一度なにかにこだわって突き進んでみたい。

不利益だと分かっていながら進んだ先の事実が、自分の考えと違っていたらいいなという期待も少し込め、突き進んでみたい。

 

 

 

世間的には悪く使われがちな【執着】という言葉だが、執着の経験がない状態で嫌悪するくらいなら、身をもって確かめてみたい。

まぁ自分に害があるものを簡単に諦めることができるというのは、自分のことを大切にできているとも言えるのでどっちが正しいのかは分からないが、一つの経験という形で自分の財産にしたいと思う。

 

 

救われる形

焼肉屋でバイトをしていた時に、某男性アイドルがご家族と来店し仲睦まじくしていて、すごく感じが良くていい人だなぁと感じました。

 

しかし別日に飲み会に参加した際、その男性アイドルの方がいて、女の子の頭を叩いたりお店のダーツの矢を曲げていたりと、かなり印象が悪くなりました。

 

攻撃的な面を持っているのは褒められた事ではないですが、彼は大切だと思う人を重んずるスキルは持っているんです。

本人がそれで良ければ私にとっては関わらなければいいだけなんです。

芸能人だと自分が望まなくとも色んな人が寄ってきますし、足切り条件が浅くあるのは理解できます。

 

飲み会に居た人の中には、彼のことを悪く噂する人もいると思います。

【あの人はあの人にこういう事をしたから嫌われている】

【あの人はこういう人だから関わらないほうがいい】

女社会に居るとよく出る話ですよね。

 

ですが私は人から聞いた話でその人を100%判断せず目の前に居るその人が自分に害があるかないかで判断します。

むしろそういう事を言ってくる人は、私に偏見を押し付けようとしてくる人、ゴシップ好きと評します。

 

 

 

 

そんな私が、割と噂通りな事が多く気の毒だと思う人は【救いようのない人】です。

もちろん聞いた話だけで判断はしないですけどね。

 

 

 

 

たぬかなさんがこのポストで指している方や事象は置いておきますが【本当の弱者は救いたい形をしていない】という言葉は【救われたいと思っている】ことが前提ですが凄くしっくりきます。

 

 

困ったことがあった時はまず自分の中で考えて、ほとんどのことが自己解決できます。

しかし相談した人が自分に親身になってくれる人だと、自分に起きた似た事象に置き換えたりして、その人の中のわざわざ話すような事でもない小さな悩みや、消化できていない過去に触れることができるのです。

 

そこでお互いが少しでもポジティブになれるなら、とてもいい会話だと思います。

 

会話だけではなく、行動で応えてくれることもありますよね。

父が亡くなって辛かった時には友達2人がずっと私の家に泊まってくれたりしました。

私も友達が失恋をしたときは友達の家に泊まりに行ったりと、持ちつ持たれつで居れてると思います。

個人的にはしてもらってばかりであまり返せていないんじゃないかと思いますけどね。

たぬかなさんの言葉をお借りすると、私にとって友達は【救いたい形】をしているんです。

 

 

ポストにもあるように

他責、逆恨み、自分は○○!!大変だから何しても許されるはず‼️、関係性以上のことを求める、みたいな都合の良すぎる人っていますよね。

 

その態度を自分に向けてくる人を救いようのない人と分類します。

自覚があるのと、無意識とでまた大きく変わりますが、自覚のある人の場合なにかしらの言い添えがあるものです。

 

いつも悩んでるし、いつも不満を言っているし、手を差し伸べても無駄(お互いにとって不利益)だと思わせて来るんです。

 

 

私にはそういう人の救い方は分からないので、どこかで救われてくれればいいなぁと思い関係を切り上げます。

 

 

人を重んずることは自分を重んずる事だと心から理解できれば、打算的ではない自然な優しさや気遣いがでてくると思うんですよねぇ。

 

 

 

人からの優しさ、自分の優しさにいつも救われています。

 

愛って苦労するよね

19歳くらいの時に麻雀を覚えるため、中学の同級生とカフェで週に3回ほど勉強会をしていたことがある。

 

彼が好意を寄せてくれてることは薄々わかっていたが、好きな人が居ることを伝えていた。

晴れてその好きだった彼と付き合うようになってからは会わなくなったのだが、出不精な私のために家の近くまで来てくれて麻雀のことだけでなく色々な話を聞いてくれる優しい人だった。

私にはそんな彼の優しさを奥手だと捉えて、より一層恋愛対象から省いていたと思う。

この価値観は今でも変わらないし、私には不必要な優しさだ。

 

 

 

最近彼と別れたので度々集まっている中学の同級生会に顔を出したところ、麻雀勉強会をしていた彼もそこにいて昔のように最近の話を聞いてもらった。

 

仕事をしたくなり、資格の勉強をしていると言ったらすごく褒めてくれて「一緒にまた勉強会でもする?」と提案され、定期勉強会を開くことになった。

 

お互いの予定が合えば週5回勉強会をできたら理想という話になり3回ほど会った。

 

彼は社会人なので仕事終わりに私の家の最寄り駅に来てくれて、カラオケで終電近くまで勉強に付き合ってくれている。

 

 

 

今日はカラオケ1割、勉強3割、雑談7割と結構語り合ってしまった。

 

 

雑談の中で愛し愛されることについての話があり、タイムリーな話題でありそこについて深く考えたいと思った。

 

彼と話した内容は

 

私は「愛すことは楽なことじゃない。」

彼は「愛される方が大変だ。」

 

という価値観の違いから始まった。

 

 

私にとって愛する中で、どこまで許容すればいいのか、どこまで尽くせばいいかの塩梅が分からない。

 

それはつまり、相手を信用できていないということだと彼は言っていて、私もそう思った。

 

許容しすぎたら、相手をダメにしてしまうかもしれない。

尽くしすぎたら、つけあがられるかもしれない。

 

そんな気持ちがあります。

 

 

 

逆に彼の愛される方が大変だという根拠は、相手が愛してくれた時にどれくらい返せばいいのか、自分のどこを愛してくれてるのか分からないというものだった。

 

彼はまぁ自分に自信がないだけなんだけどねと言っていた。

私がそれに付け加えて、それは相手のことも信用できてないんじゃない?と言ったときに、ああ、私も自分に自信がないから人のことを愛せないんだなと、表裏一体なことに気づいた。

 

彼との会話はそんな暗い結論で終わってしまった。

 

 

 

一人で思考してみたのだが、表裏一体といえど私と彼の差はある。

私は

・愛される努力はストレス無くできる

・相手が愛してくれてる事に気づける

・相手が愛されるためにしている努力に気づけない

 

彼は

・愛する努力はストレス無くできる

・相手が愛されるためにしている努力に気づける

・相手が愛するためにしている努力に気づけない。

この違いだと考えた。

 

直近で付き合っていた彼は省きますが、今まで付き合った彼はみんな愛することを厭わない人たちだったと思います。

恋愛観的に一人の女性としてすごく自然体でうまくいってたなぁ。

逆に直近で付き合っていた彼は人として自然体で居れたので、恋愛関係にならなければいい人間関係が築けていたのかなぁとも思います。

 

そこに人としての価値観や、人生観もすり合わせなければいけないと思うと、恋愛って本当に苦労が多いですよね。

 

 

まだもう少し深くまで考えられそうですが今日はここまでにしておいて、総括としては受動的な人じゃなく、積極的な人と恋愛をしよう!です。

 

 

人としての相性も大事ですが、恋愛関係を築きたいのであれば、恋愛の相性って大事ですね。